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 1882年― 《普遍的な生》の啓示(3つの閃光)
 みすず書房『ロマン・ロラン全集【17】』所収「内面の旅路」片山敏彦訳 P297
私はいつも並行的に二つの生を生きて来ている。その一つの生は、先祖から承け継いだいろいろな構成要素の結合が一定の空間と時間との中で私に着せている人物(ペルソナージュ)としての生であり、今一つは、あらゆる生の息吹きであり実質そのものであるところの、顔も名も場所も時代もない《実在》の生である(中略)

今の私がいるような状態――《普遍的(ユニヴェルセル)な生》との直接な交わり(コンミュニオン)のこの状態へ到達する以前には、私は《普遍的》な生の近くで、しかしそれから離れて生き、それが巌の下で私と共同して進んでいる音を聴いていた――それから急に、自分の最も予期しない瞬間に――そんな瞬間と瞬間とのあいだは間遠だったが――その《普遍的な生》は、掘抜井戸の噴出となって生き生きと現われて私を真正面から打ち、私を驚かせた。

魂のこんな吹き上げ、――宇宙の心を鼓動させている火で私の血脈を充たすこんな《閃光》の中の三つを私は書き留めている(中略)

これら三つの聖なる瞬間――現われたかと思うと忽ち隠れた閃光――しかも、その不思議な力は、私そのものが消え失せない限り、私にとって消え失せることはないだろう。

〔その三つの閃光とは〕
フェルネーの見晴らし台(テラス)。
スピノザの、燃える言葉。
そして、トンネルの暗闇の中での、トルストイ的な閃光。

 3つの閃光 ①フェルネーの見晴らし台
 みすず書房『ロマン・ロラン全集【17】』所収「内面の旅路」片山敏彦訳 P300~301
フェルネーの見晴らし台(テラス)において私に一つの決定的衝撃(ショック)が来た(中略)

けしきが開けた―― 一分間……いや、それより少い瞬間だった! 二十秒間……突如と啓示が来た……私は見た。ついに見た!……

何を見たか? 非常に好いけしき、しかしそれは別に珍しいものではなかった(中略)それは幕が取り払われたかのようだった。抱擁されてむりやりに自己を開かれた処女である精神が、自分の内部で男性的な自然の酔い心地の躍動するのを感じた。そして初めて、精神は懐胎した(中略)とつぜん一つ一つのものが意味を帯び、何から何までが説き明かされた(中略)私は知った――自分の最初の日以来私は自然のものであったことを、そして私は産むだろうことを……

 3つの閃光 ②スピノザの閃光
 みすず書房『ロマン・ロラン全集【17】』所収「内面の旅路」片山敏彦訳 P301~310
第二の閃光が、それから二年後に落ちて来た。十六歳と十八歳とのあいだのことであった。

悲劇的な二年間。不安定な一人の青年の家庭生活と学校生活との題材しか見ない人々の眼には、言うにも足りない年月とも見えるだろう。しかし、それらの二年間は、致命的な絶望の、貪婪な怪物どもを隠し持っていた。そして私は、まさにあの二年間の時期に、虚無の底に触れた(中略)

その頃ハムレットがどんなに私の親密な伴侶であったかということを私はいつか物語るだろう(中略)

私の精神の中に一つの変化(メタモルフォーズ)が起りつつあった。強く烈しい変化であった。肉体も魂も声も思想も変りつつあった。十六歳の、フェルネーの見晴らし台のときには私の知性は抽象観念に対しては未だとざされていた。私はサン・ルイ中等学校(リセー)で、めくら滅法に、エヴランやダルリュといっしょに哲学科にいた(中略)

一匹の犬が本能にみちびかれるように、私は二、三の言葉の匂いに惹かれてまっすぐにスピノザへみちびかれた。

オデオンの廊下の書店で買い求めて今では稀覯本となっている版を私は今でもたいせつに保存している。この本はあの数年のあいだ、私のためには永遠の生の仙薬であった――

  《スピノザの著作、エミール・セーセ仏訳及び批判的序文――増補改訂新版――シャルパンチエ出版所、
  一八七二年、十二折型・三巻・緑色堅紙表紙》

私の思想は今では師ブノワ〔スピノザ〕の厳格な合理主義から脱却しており、そこにかずかずの謬見を認めてはいるが、彼は私には依然神聖であり、聖典を信じる者にとっての聖典にひとしい。そして私は、これらの三巻を手に取るときに必ず敬虔な愛を感じる。決して私は忘れはしないだろう――私の青春の旋風の中で『エチカ』の深い巣に自分の隠れ家を見出したことを……(中略)

幻覚に照らされた私の眼ざしのぼんやりとした凝視の下で、字列の柵が開かれて、《実体(シュブスタンス)》の白い太陽が現われた。金属が溶解して私の眼の杯をいっぱいに満たし、私の存在の内に流れ込んで私の存在を焼き尽す(中略)

四つの《定義》の、そして『エチカ』の燧石の衝撃から飛び出す幾つかの火花の、最初の一ページだけでも充分だった(中略)

私は、スピノザの言葉そのものの中にスピノザをではなく、まだ知らなかった自分自身を見出した。『エチカ』の入口に刻まれている銘の中に、燃え立つ文字の《定義》の中に、私が読み取ったものは、スピノザが言ったことではなく、私が言いたかったことなのであった(中略)誰も一冊の本を読むということをしはしない。誰しもがしていることは、自分自身を発見するためかあるいは統御するために、本を通じて自分自身を読んでいるのである。そして最も客観的な本とは最も幻覚的な本である。最も偉大な本は、電文が紙のテープに打たれるようなぐあいに頭脳に内容が刻みつけられる本ではない。それは、その本の生命的な衝撃が他のかずかずの生の様相を呼び覚まして見せ、そして一つの生から他の生へと、火が――さまざまの要素を燃料として大きくなる火が拡がり、ついにはそれが森から森へ飛ぶ大火事となるような本である(中略)

私のエコール・ノルマル時代の原稿のうち、一八八六年と八八年とのあいだに書かれたものは、スピノザ的な考え方を肉づけし、形成し、変形しながら、生についての私自身の考えの規範を作ろうとする私の探索の、毎日のようになされた永い記録を物語っている。この努力の末に得た勝利の日付けは一八八七年四月十一日である。(私の生涯の中で大きな役目を演じたこの運命的な四月十一日)――私はスピノザの神を遂につかんで、自分の好みと要求とへ申し分なく適合させた。《頭脳的感覚感動》のこのスピノチズムは一つの短い《学術論文》の中で表現され、私はこの文章に――『真なるゆえにわれ信ず』(Credo quia verum)という題をつけた(中略)この論文はそれ自身として大した価値を持っていない。その価値はただ証拠としてのみのものである(中略)自分の内心の論争をはっきりさせようとしたあの努力のおかげで一つの新しい落ちつきを得たと告げることだけで私には充分である……

「……まったく久しぶりで初めて私は心のすがすがしさを感じる。平和が心に帰って来た……」(中略)

私は自分の思想の脆弱さを少しも自分に対して隠しはしなかったとはいえ、この思想ははなはだ私自身のものであり、――スピノザの言葉で言えば、はなはだ私の気質に《適当な(アデカート)》なものであったから、私はこの考えを、その後永いあいだ動揺させる必要を感じなかった。それは私には充分であるような一つの基礎を与えてくれた。少なくとも一つの確乎たるプラットフォームを――待つためのプラットフォームを与えてくれた。その上で私は、いろいろな懐疑の重荷をおろして、自分の生の建設を始め、私の真の創造生活――私の諸熱情と私の作品とを建て始めた。

人々はやがて見るだろう――いかに私の諸熱情と作品とが、遍在を私が自己の内に、また存在するすべてのものの中に感じているところの《至高実在》の直接の放射であったかを。

 3つの閃光 ③トンネルの日
 みすず書房『ロマン・ロラン全集【17】』所収「内面の旅路」片山敏彦訳 P313~314
その正確な日付けはもう記憶していない。確かそれは私がエコール・ノルマルに入学する少し前のことだった。私はフランス北方を短期間だけ汽車の旅をした。午後のことであった。汽車はトンネルのまん中でとつぜん停った。列車の中の灯が消えた。停車が永びいた。機関車は不安な警笛を鳴らした。私と同じ箱に乗っていた人々は心配のために騒ぎだした(中略)私は自分の考えに耽っていた……そしてトンネルが開いたような気もちがしていた。私は、トンネルの上の、日光に浸っている野を、波立っている紫苜蓿(むらさきうまごやし)を、かずかずのあげひばりを、見ていた。私は独りごとを言った――

「これはすっかり僕のものだ。暗闇の中のこの列車の箱――たぶん数秒の後に、その中で僕が圧しつぶされるかも知れないこの箱が、僕をどうすることができるというんだ? 僕を?――否(ノン)! 僕は囚われにはならない(中略)僕はここやかしこに存在する。至るところに存在する。そして僕はいっさいのものだ……」

そして、動かない汽車の箱の暗い隅にうずくまって、私の心は喜悦のために笑った……

さてその後一年ほどして、『戦争と平和』を初めてむさぼり読んだときに、ピエールのあの発見〔悟り〕の個処を読んで私は心が顫(ふる)えた。

モスクワからの退却の途中でフランスの捕虜となったピエールは、カルガに行く道の上で、夕明かりに一台の荷車の背後にすわっている。そして「両脚を組み合わせ、首を垂れて、じっと考え込んでいる。」一時間以上も時が過ぎる。誰もピエールのことを気にかけている者はない……

「とつぜん彼は笑い出した。頭のてっぺんから足の先までをゆすぶるような、子供っぽい無邪気な大きな笑いであった。こんな陽気な爆発に、あたりの皆が顔を向けた。――《は! は! は!》と彼は独りごとを言った、《僕がつかまってるって? 僕が捕われの身だって!……この僕がか? 僕の不死の魂がか?……は、は、は!……》彼は涙が出るほど笑った(中略)満月が中天まで登っていた。森と野原の姿が、あたりいちめんにはっきりと見えていた。そして月光をいっぱいに浴びているこれらの森と野とを越えて、眼ざしは無限の地平の奥に沈んだ。ピエールは夜の大空を見つめた。《これらすべては僕のものだ》と彼は考えた――《これらすべては僕の衷(うち)に在(あ)る。これらすべてが僕だ!……そしてこれらすべてを彼らは捕えているというのか! これらすべてを彼らはバラックの中に押し込めて置くというのか!》……――彼は微笑した。そして自分の同僚たちの脇に行って寝るために身を横たえた。」

トンネルの日以来、私はこれとおなじ微笑をもって人生の旅をした。一度ならず、威嚇に充ちたトンネルの、果しのない闇を経験し、わが道づれである人間たちの群れの中で寝た。そして私の肉体は、彼らのと同様に、矛盾せるいろいろな熱情や、憧れや、嫌悪の情や、悲哀や、憤怒や、また恐怖心のために顫えた。――しかし私は《日の光に浸されている野と森》であり、大空に向って登る雲雀たちであり、そして平和であった……